2013年1月13日日曜日

ソドムの滅亡

今日は創世記19章から「ソドムの滅亡」と題して説教をしました。説教題を外看板の掲示板に掲載してから、恐いタイトルだなあと思っておりましたが、「聖書が語っていることですから、ちゃんと語ってください」と言ってくださる方に励まされて、今日、お話しをしました。
旅人を、アブラハムと同じように丁重にもてなすロト。しかしその人々に、破廉恥な乱暴を働こうとするソドムの人々。
この詳細な記述は、ソドムの街がいよいよ赦しがたい、全く悪に染まった街であったということを私たちに告げています。
前章でのアブラハムの執り成しに、意味がなかったということではないのです。アブラハムの執り成しを、確かに主は聴いてくださっていたのです。それなのに、たった一人も正しいことを訴える人もいなかった、ソドムは、滅亡することになるのです。
主なる神様は、ご自分の造られた人を、最期の最期まで忍耐深く、悔い改め、神に立ち返ることを待っておられます。しかし、善と悪をさばかない方であるということではない。悪にはさばきを、明白にされる正しい神なのです。
ソドムの滅亡に際して、興味深い人間の行動が聖書には記されています。
ロトを介した警告の言葉を「冗談」としかとらない婿たち。
ロト自身も脱出という選択肢について「ためらう」。
そして逃亡した後で禁じられていた後を振り返るという行為によって「塩の柱」とされてしまうロトの妻のこと。
決して、太古の神話ではありません。今日も、私たちを襲うかもしれないさばきの時に、免れ、生きのびるものとなるすべを教えています。
警告を侮ってはならないこと。ためらわずに、即座に逃げ出さなければならない状況があるのだということ。
逃げる時には、とにかく安全な場所までたどり着くまで後を振り返ってはならないこと。いずれも、私たちが最近経験した事実と合致することです。
聖書は、私たちに、いきのびるすべを教えている。あらかじめ教え、今日の私たちが、賢明に生きることを、真の神様は望んでおられる。愛の故です。私たちを愛し、私たちの幸いを望んでおられる神様を信じ、今日を、明日を、生きるものとさせていただきましょう。

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