2012年10月11日木曜日

ユダ・イスラエル戦役

昨日はサムエル記第2の2章から4章を読みました。サウルとヨナタンの死を弔ったダビデは、時熟したかと主に伺いをたて、ユダの町ヘブロンでユダの家の王となります。続いてサウルの葬儀の知らせを聞くと、丁重に返事をしつつ、サウルの陣営に、自分がユダの王となったことを知らせます。サウルが死んだのだから、私とともに、全イスラエルとして立ち上がろうとの思いが読み取れます。しかし、ダビデの思いに反して、サウルの家では将軍アブネルがイシュ・ボシェテを擁立し、ユダに対抗することになったのでした。ユダ・イスラエル戦役です。同じヘブル人でありながら、互いのことをよく知ったもの同士でありながら、戦の最後は、双方に死者を出すことになります。アブネルの部下は360人死に、ダビデの家来は19人と、ヨアブの兄弟アサエルを失うことになったのでした。多くの犠牲が出てから、停戦を呼びかけるアブネルの言葉は、それだけを取り出せば、戦を否定する賢い言葉ですが、そもそもの原因を作ったのは彼自身です。人間とはこのようなものなのでしょうか。戦争をして初めて戦争の愚かさを知る。しかし、話しはこれでは終わりません。形勢は次第にダビデの家がサウルの家を圧倒するようになります。すると将軍アブネルは王イシュ・ボシェテを裏切り、ユダの家に投降するのです。これを寛大に受け入れるダビデと、王であるダビデを無視してアブネル暗殺を実行に移すユダの将軍ヨアブの姿が非常に対照的です。敵であっても考えを変えるなら受け入れようとするダビデ。相手が油断した隙に、亡き弟の無念をはらすヨアブ、人間の選択する道は色々です。私たちはどのような道を選択するのでしょうか。アブネルの死を心から悼むダビデの姿は、民の目に信頼に足るリーダーと映っていったのでした。4章にはイシュ・ボシェテの最期が記されていますが、この章で特に動きのないヨナタンの息子メフィボシェテが登場するのが不思議です。後にヨナタンのゆえにダビデ王家に迎えられて行くメフィボシェテ。メフィボシェテにこのように振る舞ったなら、イシュ・ボシェテにも誠実を尽くすダビデであったはず。それなのに王を殺して恐れないバアナとレカブの行動は、死に価する罪深い行為だったのでした。

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