2012年9月30日日曜日

バベルの塔

本日は創世記より、バベルの塔のお話しをいたしました。天にも届く塔を建てようと志した人間。しかし、神様は、人間の高慢を打ち砕き、言葉を混乱させられ、人々は容易に理解し合う事のできない存在となって、世界に散らされたことでしたが、子どもの頃から聖書を読んでいて、世界に様々な言語があること、戦争や紛争、理解し得ない問題があることは、神様のさばきの結果なのか、と思っておりましたが、聖書を勉強するようになって、さばきであるかもしれないけれども、神様の恵みでもあるということを教えられ、目が開かれた思いでした。私たち人間は一致して良い事を成し遂げることもできるけれど、本質的に罪を抱えた私たちは、むしろ高慢に陥る危険性があること。多様性を与えられた世界で、理解し得ない他者を理解し、受け入れ、受け入れられという人生の中で、人格は練られるものであるということ、一致、よりも癒着が問題とされる昨今、バベルの塔のメッセージは、極めて今日的、私たちの知るべき現実を教えている聖書のことばでした。東京スカイツリーのことなど調べておりましたら、人間の心の中には、よそよりも高い塔を建てたいという、素朴で愚かな願いがあるのだなあとも思い知らされました。しかし、根源的に罪を持った人間は、異なる他者にであってこそ、謙遜を学び、成熟に至るのだと思います。新しい週も異なる他者を理解し、関わる人生を歩ませていただきたいものです。

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