2012年9月26日水曜日

サウルの最期

今日はサムエル記第一の31章、最終章を学びました。サウル王の最期です。息子三人を打ち殺されても、最期まで戦い続けるサウルは、相当の強者だったのでしょう。ペリシテ人たちも遠くから矢を射かけることしかできない。誰一人近づいて剣を交えるものはいない。サウルは最期までペリシテに恐れられた勇者でした。しかしペリシテの弓矢はサウルに手痛い傷を負わせ、サウルは諦めて自害、なぶりものにされたくないという願いは空しく、息子たちも、サウル自身も武具を奪われ、サウルは首をはねられ、ベテ・シャンの城壁に、首なき遺体がさらしものにされます。王の死を悼む人々の存在だけが唯一の慰めです。なぜこのような最期を迎えることになったのか。28章のサムエルの預言が思い出されます。28章16節から。サムエルは言った。「なぜ、私に尋ねるのか。主はあなたから去り、あなたの敵となられたのに。主は私を通して告げられた通りのことをなさったのだ。主は、あなたの手から王位をはぎ取って、あなたの友ダビデに与えられた。あなたは主の御声に聞き従わず、燃える御怒りをもってアマレクを罰しなかったからだ。それゆえ、主はきょう、このことをあなたにされたのだ。主は、あなたといっしょにイスラエルをペリシテ人の手に渡される。あす、あなたも、あなたの息子たちもわたくしといっしょになろう。そして主は、イスラエルの陣営をペリシテ人の手に渡される。」神の言葉に聞き従わないことは、恐ろしい結末を迎えることになる厳しい現実を学ばなくてはなりません。サウルも自分の罪を認めていますが、それがうわべだけのこと、自分の面目ばかりを気にする、心の底では主を主として崇め、その御言葉を尊ぶことがどういうことなのか分かっていなかった。私たちも上辺の態度ではなく、心の底からの神への信仰が問われるものなのです。

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