2012年9月24日月曜日

ノアの子どもたち

昨日は創世記9章10章より、ノアの子どもたち、その子孫たちのことを学びました。酔っぱらった父の裸を兄弟に告げ、ハムとその子孫には呪いが宣告されます。ただ、それだけのことで?また酔っぱらったノアに責任はないのか?そんな疑問も湧くのですけれど、聖書は、人の恥ずかしい姿を見て物笑いの種にするような、私たちの心の中にある醜い部分を鋭く批判しているのではないでしょうか。他方、セムとヤペテは着物を肩にかけ、後ろ向きで父に近づきます。そこまでしなくても、と思うかもしれませんが、これが敬うべき父に対するふさわしい行為だと聖書は語るのです。愛は礼儀に反することをせず、愛は多くの罪を覆う。姦淫の現場で捕えられた女性から視線を背けるために、イエス様は地面に何か書いておられたといいます。見ない愛、とでも言えるでしょうか。人の弱さ、人の醜さ、人の罪深さをあばきたてて、笑い声をあげる、そんな人間に堕してしまわないように、と教えられたことでした。

0 件のコメント:

コメントを投稿