2012年8月29日水曜日

エシモンの東にあるハキラの丘

かつてダビデの居場所をサウルに知らせたジフ人たちが、サムエル記第一の26章でもダビデの居場所をサウルに知らせます。サウルがダビデに近づいた夜、ダビデはアビシャイを連れてサウルの幕営を訪れたのはなぜでしょう。荒野での逃亡生活を理解することが鍵になるかもしれません。荒野に逃げるとは、森や木々のある場所に隠れることではありません。人の来ない広大な荒涼とした場所に身を置く事ですから、一度居場所が分かってしまえば、むしろ万事休す、身を隠すものは何もないのです。敢えてサウルに会うために、出て行く必要があったのかもしれません。そこでダビデはサウルを殺害するチャンスに恵まれますが、それは彼の願うところではありませんでした。槍と水差しをもって翌日に備えます。翌日、急には捕えられない十分に距離を置いた場所からダビデが呼びかけますと、しおれたサウルはいのちを助けられたことを悟り、自分の過ちを認めたのでした。ここでもサウルの前で率直に語ったダビデは、サウルを退けることに成功したのでした。「私があなたのいのちを大切にしたように、主はわたしのいのちを大切にして、私を救い出してくださいます。」敵のいのちを奪う事ではなく、敵のいのちを大切にすることこそ、自分のいのちを守ることになる。今日、あらゆる場面に見られる憎しみと争いも、このような解決方法によらなければ、負の連鎖は積み重なる一方なのではないでしょうか。戦が連続するような旧約聖書の歴史の中にも、丁寧に読み解くなら、神は暴力を肯定しておられないということを教えられるのではないでしょうか。

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